COLUMN

 「今日、横にいるひととか、後ろにいるひととかのことを知らないかもしれないけど、同じ空間で音楽の下にいるっていうのは、いろんな政治家がやろうとしても出来なかったことで、音楽が持ってる力だと思ってて……これがオレらの政治なんで。どういう方法でもいいんで反応して下さい。あなたの声を聞かせて下さい。GEZAN」

 文字として書き出すとあまりにもナイーヴに感じられるかもしれないが、映画の終盤、GEZANが主催するインディペンデント・フェスティヴァル<全感覚祭>のステージでマヒトゥ・ザ・ピーポーが口にする以上の言葉が、観客に実感を伴って刺さってくるのは、その時点までに、私たちが彼らとアメリカ・ツアーを共にし、アンダーグラウンド・パンク・シーンの可能性と限界を見ているからだ。

 「オレは正義の反対はもう1個の正義だと思っているから、主義を持たないようにしていたけど、それがある意味、ボンボンの発想っていうかさ、余裕がある中での思想だったかってことを突き付けられた」という葛藤に巻き込まれているからだ。そして、それでも先の言葉に続いて、他でもない音楽が鳴らされるからだ。

 「自分は何が出来るんだろうってシンプルに混乱してる」。あるいは、マヒトゥ・ザ・ピーポーは映画の中で言っている。音楽が包摂とまた違った可能性を持っているとしたら、「シンプルに混乱してる」ーーそういった状態を切実に表現出来るということだろう。その意味で、これは非常に音楽的な映画である。―磯部涼

磯部涼プロフィール

ライター。近著は『ルポ 川崎』。その他の単行本に『音楽が終わって、人生が始まる』、編著『踊ってはいけない国、日本』、大和田俊之、吉田雅史との共著『ラップは何を映しているのか』などがある。